日本に本格フレンチを伝えたスイス人シェフ『初代総料理長 サリー・ワイル』 神山典士◎著
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サリーワイルの波乱の生涯を蘇らせた料理史ノンフィクション
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日本に本格フレンチをもたらした「初代総料理長」サリー・ワイルの波乱の生涯を甦らせた料理史ノンフィクション「初代総料理長 サリー・ワイル」
■題名 『初代総料理長サリー・ワイル』
■著者 神山典士
■発行 講談社
■発売 2005年9月1日(木曜日)
目次
プロローグ 邂逅・2004年
 スイスの首都ベルンに眠るサリー・ワイルの墓を訪ねて、最初のヨーロッパ取材が始まる。なぜ彼はあの時代に日本に渡り、20年間も留まったのか…? 日本に本格的な西洋料理をもたらした男の姿が少しずつ説き明かされる。
第一章 誕生・1923年
 1923年9月1日に起きた関東大震災。復興を願う横浜市民の願いはホテルニューグランドの建設に繋がった。そして、オープン1ヵ月前。外国人を納得させられる腕を持つシェフとして、横浜にやって来たのが30歳のサリー・ワイルだった。
第二章 革命・1927年〜1946年
 ホテルニューグランドの総料理長となったワイルは、次々と当時の西洋料理界の常識を壊していく。ニューグランドにはその評判を聞きつけた食通や全国の料理人が集った。そして、ワイルは契約を延長、日本に滞在し続けることを選んだ。
第三章 挫折・1941年〜1946年
 第二次世界大戦が始まると、帰国を躊躇していたワイルは軽井沢に軟禁されてしまう。やがて終戦を迎えるが、ホテルニューグランドはGHQに接収されてしまった。1946年、失意のうちにワイルは帰国の途についた。
第四章 再開・1956年
 帰国後、食材の営業マンとして糊口をしのいでいた1956年秋。弟子たちの手によってワイルの再来日が実現。「日本の若き料理人をヨーロッパで修行させましょう」。ワイルのその言葉が戦後の西洋料理界の飛躍を促した。
第五章 始動・1960年〜70年代
 1957年を皮切りに、多くの料理人が海を渡り始めた。ワイルはスイス各地のレストランのシェフの承諾を取り、日本人の修行の場を確保した。熱き情熱と幾多の失敗を経て、日本の料理人たちが世界へ羽ばたいていく。
第六章 使命・1912年
 時はさかのぼって1912年。横浜にあったグランドホテルで、当時、世界の料理界の頂点であったシェフ、エスコフィエの晩餐会が開かれた。エスコフィエに憧れていた若き日のワイル。この2人をつなぐ糸をたどり、みつかった答えはー。
エピローグ 伝承・2004年
 日本の西洋料理発祥の地、長崎。その地で偶然、ワイルの孫弟子に当たる料理人と出会った。料理は時間芸術であるが、確かに伝承されるものもある。ワイルから今日活躍する多くの料理人たちへ。巨大な樹形図が、確かに広がっている。
著者プロフィール
神山典士(こうやまのりお) 神山典士(こうやまのりお)
ノンフィクション作家。1960年埼玉県生まれ。信州大学人文学部卒業。96年、明治期に柔道を広める為に世界を歩き、後年、アマゾン移民のために尽くした男の生涯を描いた『ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝』で、第三回小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞。14歳の夏、一ヵ月間アメリカ・ネブラスカ州にホームステイした体験から異文化の魅力に目覚め、ジャンルを超えて異文化と格闘した人物、事象等を描き続けている。主な著書に『アウトロー』『「日本人」はどこにいる―今に生きる武士道のこころ』『海渡ものがたり―「民際人」16の肖像』『北朝鮮にスマッシュ。』『組織に頼らず生きる』『勝負あり』等がある。
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